暫定Cok*日記
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わかりやすい、とか解りにくいとかっていろいろあるけれど、「わかりやすい」に価値をおくのってけっこう難しい。なにせわかりやすいだけに「簡単」だとか「単純」だとか、「軽薄」だとか「安易」なんてものを連想しちゃうから。でも、表現世界において「解りにくい」なんて価値にこそ、本物と偽物はたくさん入り交じってる。
本物か偽物か、そんな真偽を見分ける力は私にはあんまりない。なんでって、面倒くさいから。でも時々、「あ、これって解りにくいんじゃなくて、難しくてややこしいけど、筋道辿っていけばゴールは遠いけど答えがあるな」みたいなやつは、漠然と「本物かも!」なんてうなっちゃったりするんだ。
出来損ないの迷路みたいに、どの道を行っても袋小路なのは、「解りにくい」なんて遠慮がちに言わずにもっとハッキリ「独りよがりなんだよ!」と言える勇気があればいんだけれど(笑)。
ヒムチは一時(今も言ってるのかなあ?)「絶対的なポップ」とかよく言ってて、正直なところその言葉の真意ってあんまりよくわかんないけど、自分の解釈としては「音楽としてのわかりやすさ」っていうか、誰が聞いても「イイ!」って思える共通認識な美しさとか、良さみたいなのかなって思ってた。
例えばプレゼントをあげて、箱をあけたら中にはまた小さな箱が、って。マトリーシュカみたいなこといつまでも続けて、結局中身はナシです、みたいなもんじゃなくて、プレゼントあげてフタあけたらさっそくお待ちかねのプレゼントが、みたいなさ。ストレートな感動ぽいとこかなって。
ごくごく個人的なところで、妙な誤解を避けたい思いいっぱいで勇気を持って言うならば、わたし男性はとくに客観性とか大衆性を見据えたナンバーワンを狙わない人って、メスとしての女から見た魅力ってないと思うの。そうじゃない男性に対して母性が働くことと、似た感性に対して同類項としての情(友情、愛情)を感じることはあると思うんだけど、本能的なメス本来の純粋に女の欲情ってやつを刺激するには、やっぱりナンバーワンな男なんだと思うんだよなー。
でもナンバーワン思考って、現代日本じゃーちょっと敬遠されがちな思想だよね。オンリーワン思考が根付いたのは最近ながらにけっこうしぶとい。わたし、自分は女だからこそ言うけれど、オンリーワン思考ってどっちかというと女性の価値観だと思う。オンリーワンが良いとか悪いとか、ナンバーワンがどうとかそういう事じゃなくて、価値観の問題。どっちもはっきり言ってオールマイティーな価値観じゃなくて、だから男女で違う価値観を重ね合って、ちょうどいいとこを実現するんだと思うんだけどな。だから、男尊女卑とか女尊男卑的なとらえ方されると、わたしとしてはどっちも違うからいかんともしがたいものだけど。どうして、どっちかが損でどっちかが得みたいなとらえ方しかできない人っているんだろうね。違う事を並列に認められないのって、世界を自分から狭めているようでちょっともったいない。
ナンバーワンを求める男はオンリーワンな女を捜して、オンリーワンになれる女はナンバーワンな男を求めるんだと思うんだよね。ナンバーワンって、すごい具体的な話じゃない。例えば成績が一番とか、かけっこが一番とかさ、なんだか知らないけど逆上がりで一番とかさあ。でもオンリーワンってすごい抽象的で、個人の精神的価値観にゆだねている部分がすごい強いし大きい。他人がさあ、一般共通モラルで「はい、あなたオンリーワン度54点!」とかなんて図ったりできないんだもの。つまり、それは個々人の中で芽生えさせて育てていくもんであって、他人から決められる価値なんかじゃないんだよね。だから正直、そういういい加減極まりない価値観(そのくせ個々人の中での絶対感はやたら強い)オンリーワン思想を、社会の共通モラルに持ち込もうとしている世間ってやつには、私は個人的には首をかしげてしまう。そのくせ、これまでさんざんに持ち上げてきた男尊女卑社会の象徴みたいな(本当は違うけど)ナンバーワン思考は「捨てなくちゃ」な強迫観念に気圧されてるとしか、思えない。
でも、やっぱりそれってなんか違うよなあって。やっぱりヒムチじゃないけど「絶対的なポップ」っていうかさ、「絶対的なナンバーワン」ってあるんだ実際。それってちゃんと、きちんと目に見えて聞こえて触れて表現できるものなんだと思う。かといって、そこにばかりとらわれて、外見ばっかりキレイで中身は空っぽだとやっぱり意味がないっていうか、それってつまりいくら男性が1人でナンバーワン気取っていても、そこにオンリーワンな強さやしなやかさや内的世界観の構築がなければ、なんだか薄っぺらくて壊れやすいなって事かなって思うんだ。独身男性って、長生きできないって統計があるんだって。守るべきものがないから、捨て身になってしまう事が多いらしい。
守るべきもの、って書くと女性は守られ男は守るもの、みたいな感じだけれど、なんか哲学ぽいような倫理とかの授業で、「女性は妊娠して身ごもっている時は、絶対的に身体的ハンデを背負う。そのときに自分を守ってくれる男性が必要」っていうのが、個人的に一番納得した理屈なんだな。そりゃ、強い女性はいっぱいいるし、それ言い出したら女1人でも子供産んで育てられるって思うよ。だから出来る出来ないじゃなくて、一般論として、「だから、女性はより強い男性を求める」というのは、単なる子孫繁栄に留まらない部分で納得できたりしたんだよね。損とか得とかじゃない部分での、違いっていうか、適当な役割分担ってやっぱりあるしね。
健全な男子はナンバーワンを求めて欲しいものだな。というか、ナンバーワン思考から抽出されるオンリーワンって、女性が感じるオンリーワン思想とは別物だと思うから。おそらく、客観的判断をするならばナンバーワン思想からのオンリーワン思考って、基本的には独りよがりな言い訳にしかならないから。正直、女々しい(笑)。女性のがむしゃらなナンバーワン思考が、どっかかわいげなく見えちゃうのと同じ理屈だと思うな。
おわりー。
本物か偽物か、そんな真偽を見分ける力は私にはあんまりない。なんでって、面倒くさいから。でも時々、「あ、これって解りにくいんじゃなくて、難しくてややこしいけど、筋道辿っていけばゴールは遠いけど答えがあるな」みたいなやつは、漠然と「本物かも!」なんてうなっちゃったりするんだ。
出来損ないの迷路みたいに、どの道を行っても袋小路なのは、「解りにくい」なんて遠慮がちに言わずにもっとハッキリ「独りよがりなんだよ!」と言える勇気があればいんだけれど(笑)。
ヒムチは一時(今も言ってるのかなあ?)「絶対的なポップ」とかよく言ってて、正直なところその言葉の真意ってあんまりよくわかんないけど、自分の解釈としては「音楽としてのわかりやすさ」っていうか、誰が聞いても「イイ!」って思える共通認識な美しさとか、良さみたいなのかなって思ってた。
例えばプレゼントをあげて、箱をあけたら中にはまた小さな箱が、って。マトリーシュカみたいなこといつまでも続けて、結局中身はナシです、みたいなもんじゃなくて、プレゼントあげてフタあけたらさっそくお待ちかねのプレゼントが、みたいなさ。ストレートな感動ぽいとこかなって。
ごくごく個人的なところで、妙な誤解を避けたい思いいっぱいで勇気を持って言うならば、わたし男性はとくに客観性とか大衆性を見据えたナンバーワンを狙わない人って、メスとしての女から見た魅力ってないと思うの。そうじゃない男性に対して母性が働くことと、似た感性に対して同類項としての情(友情、愛情)を感じることはあると思うんだけど、本能的なメス本来の純粋に女の欲情ってやつを刺激するには、やっぱりナンバーワンな男なんだと思うんだよなー。
でもナンバーワン思考って、現代日本じゃーちょっと敬遠されがちな思想だよね。オンリーワン思考が根付いたのは最近ながらにけっこうしぶとい。わたし、自分は女だからこそ言うけれど、オンリーワン思考ってどっちかというと女性の価値観だと思う。オンリーワンが良いとか悪いとか、ナンバーワンがどうとかそういう事じゃなくて、価値観の問題。どっちもはっきり言ってオールマイティーな価値観じゃなくて、だから男女で違う価値観を重ね合って、ちょうどいいとこを実現するんだと思うんだけどな。だから、男尊女卑とか女尊男卑的なとらえ方されると、わたしとしてはどっちも違うからいかんともしがたいものだけど。どうして、どっちかが損でどっちかが得みたいなとらえ方しかできない人っているんだろうね。違う事を並列に認められないのって、世界を自分から狭めているようでちょっともったいない。
ナンバーワンを求める男はオンリーワンな女を捜して、オンリーワンになれる女はナンバーワンな男を求めるんだと思うんだよね。ナンバーワンって、すごい具体的な話じゃない。例えば成績が一番とか、かけっこが一番とかさ、なんだか知らないけど逆上がりで一番とかさあ。でもオンリーワンってすごい抽象的で、個人の精神的価値観にゆだねている部分がすごい強いし大きい。他人がさあ、一般共通モラルで「はい、あなたオンリーワン度54点!」とかなんて図ったりできないんだもの。つまり、それは個々人の中で芽生えさせて育てていくもんであって、他人から決められる価値なんかじゃないんだよね。だから正直、そういういい加減極まりない価値観(そのくせ個々人の中での絶対感はやたら強い)オンリーワン思想を、社会の共通モラルに持ち込もうとしている世間ってやつには、私は個人的には首をかしげてしまう。そのくせ、これまでさんざんに持ち上げてきた男尊女卑社会の象徴みたいな(本当は違うけど)ナンバーワン思考は「捨てなくちゃ」な強迫観念に気圧されてるとしか、思えない。
でも、やっぱりそれってなんか違うよなあって。やっぱりヒムチじゃないけど「絶対的なポップ」っていうかさ、「絶対的なナンバーワン」ってあるんだ実際。それってちゃんと、きちんと目に見えて聞こえて触れて表現できるものなんだと思う。かといって、そこにばかりとらわれて、外見ばっかりキレイで中身は空っぽだとやっぱり意味がないっていうか、それってつまりいくら男性が1人でナンバーワン気取っていても、そこにオンリーワンな強さやしなやかさや内的世界観の構築がなければ、なんだか薄っぺらくて壊れやすいなって事かなって思うんだ。独身男性って、長生きできないって統計があるんだって。守るべきものがないから、捨て身になってしまう事が多いらしい。
守るべきもの、って書くと女性は守られ男は守るもの、みたいな感じだけれど、なんか哲学ぽいような倫理とかの授業で、「女性は妊娠して身ごもっている時は、絶対的に身体的ハンデを背負う。そのときに自分を守ってくれる男性が必要」っていうのが、個人的に一番納得した理屈なんだな。そりゃ、強い女性はいっぱいいるし、それ言い出したら女1人でも子供産んで育てられるって思うよ。だから出来る出来ないじゃなくて、一般論として、「だから、女性はより強い男性を求める」というのは、単なる子孫繁栄に留まらない部分で納得できたりしたんだよね。損とか得とかじゃない部分での、違いっていうか、適当な役割分担ってやっぱりあるしね。
健全な男子はナンバーワンを求めて欲しいものだな。というか、ナンバーワン思考から抽出されるオンリーワンって、女性が感じるオンリーワン思想とは別物だと思うから。おそらく、客観的判断をするならばナンバーワン思想からのオンリーワン思考って、基本的には独りよがりな言い訳にしかならないから。正直、女々しい(笑)。女性のがむしゃらなナンバーワン思考が、どっかかわいげなく見えちゃうのと同じ理屈だと思うな。
おわりー。
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